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西新宿 彩旬亭

2020.12.25お寺

掃いても掃いても!



 

今年も残り僅かとなってきました。

境内のイチョウの葉も今がピークで舞い落ちております。

本日も早朝、昼前、昼過ぎと3回は掃き集めてゴミ袋に。

しかし掃いても掃いても風にあおられ舞い落ちてきて、塵取りに集めだすと風で散らばりと・・・。

毎年のこの時季は大変ですが、同時にお釈迦さまの「ほうきの教え」という仏典物語が頭をよぎります。

内容の概略は以下のとおりです。

 

お釈迦さまの十大弟子の中にいる周利槃特(チューダ・パンタカ、しゅりはんどく)。十大弟子の中でも「仏説阿弥陀経」に7番目に出てくる、記憶力が大変に悪く、勉強が出来なかった弟子であったそうです。

周利槃特(チューダ・パンタカ)の母親は王舎城(ラージャガハ)の大富豪の娘であったが下男と駆け落ちして、やがて双子を出産して兄を摩訶槃特(マハー・パンタカ)、弟を周利槃特(チューダ・パンタカ)と名付けました。

兄のマハー・パンタカが聡明であるのに対して弟のチューダ・パンタカは、自分の名前も書けない、周囲から自分の名前を呼ばれても自分のことだと分からないほどの愚鈍な性質であり、生涯変わることがなかったそうです。

自分の無能さを恥じたチューダ・パンタカはやがて教団を去ろうと釈迦に相談します。

釈迦は「自分を愚かだと知っている者は愚かではない。自分を賢いと思い上がっている者こそ、本当の愚か者である」と説き、彼にほうきを与えて、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせて精舎を掃除することを教えました。

以後チューダ・パンタカは釈迦のこの教えを守りただひたすらに掃除をし続けました。

釈迦の教えを忠実に守り何十年も掃除を続けたチューダ・パンタカはやがて本当に落とすべき汚れが貪(とん=貪る心)瞋(じん=怒る心)痴(ち=無知の心)であることに気付き、悟りを得ました。

釈迦が悟りを得る前の時代には数多くの宗教の行者が悟りを目指した修行をしていて、逆立ちを続けたり、体を痛めつける数多くの行者が存在していましたが、釈迦は自らも難行苦行を重ねた結果として、そういった苦行では悟りを得られないことに気が付きました。

釈迦の弟子たちは釈迦の説法を聞き、修行を重ねましたが、釈迦の教えを聞くことはとても重要なことであり、優秀な弟子たちは皆こぞって釈迦の教えを聞き、暗記して実践していたのです。

しかし釈迦はこういった愚鈍の弟子に対しても悟りを得る方法を示したことが仏教の素晴らしさであって、何も出来ないからと諦めてはいけないと説いているのです。

チューダ・パンタカは釈迦が説いた修行法を忠実に実践し続けた結果として阿羅漢果に達したのです。只一つのことをやり続けることだけで十大弟子の仲間入りを果たせたのですから・・・。

迷いが無いと言うことが最も大切な事であり、チューダ・パンタカは何の疑いも無く忠実に実践し続けたことが悟りに繋がったのです。

「心の塵、心の垢」とはこれまでの経験・体験・習慣によって自分自身の中に作り上げてしまった「偏った物事の見方や思い込み、執着の心」のことです。チューダ・パンタカはこれらを自覚し捨てることで、苦しみを離れて心の安らぎを手に入れることができたのです。



いつの間にか決めていたこだわりや頑固な気持ちが自分自身を苦しめてしまっていることがあるかもしれません。

現代社会では、なかなか一つのことを長時間集中して行うことが難しくなっていますので。

イチョウの葉を掃き集めながら、余計なことを一切考えずに身の回りの掃除をして、自分自身の「心の塵と垢」を見つめる時間となったような気がします。

全て落ち切るまで恐らくもう数日!

自らの煩悩を感じながら・・・

 

南無阿弥陀仏




浄土真宗本願寺派 須原山 正福寺