元旦会(1月1日)
新年を迎え、真実のみ教えに生かされている身の幸せを喜び、念仏もろともに報恩の生活の第一歩を仏祖にご挨拶する法要です。
新年を迎え、真実のみ教えに生かされている身の幸せを喜び、念仏もろともに報恩の生活の第一歩を仏祖にご挨拶する法要です。
新年最初の法座です、皆さまとご一緒にお勤めし、ご法話を聴聞いたしましょう。
春秋の彼岸の期間にお勤めいたします。(※年により法要日は異なります)法要には、布教使のご講師をお招きしご法話がございます。
迷いの岸(此岸)を離れて悟りの彼の岸(彼岸)に到ることのできる教えを聴聞し喜ぶ法要です。
年中で春秋の最もよい二季にお勤めいたします。法要には本願寺派布教使のご講師をお招きし、ご法話がございます。
門信徒の方々によるご懇念によって、手次ぎのお寺が立派に護持され、お念仏の教えが永代に受け継がれていく法要です。
他宗派のような故人への追善供養の意味合いではなく、いのちを恵まれた私たちが、法要をご縁として仏恩報謝の心を表すことであり、その心はやがて子や孫へ受け継がれて教えを聞き広めるご縁となります。
5月中旬にお勤めいたします。(※年により法要日はことなります)
■永代経懇志
法要当日、阿弥陀様にお華を献上し、施主様と物故者の法名を読経中に読み上げをいたします。
また、正福寺永代経法名軸に法名を記帳し、永代に亘り祥月命日に読経いたします。
■献華懇志
法要当日、阿弥陀様にお華を献上し、施主様と物故者の法名を読経中に読み上げをいたします。
■一座経懇志
法要当日、施主様と物故者の法名を読経中に読み上げをいたします。
※ご懇志上納につきましては、随意(ご自由)です。
お盆は正しくは盂蘭盆会(うらぼんえ)といいます。インドの言葉のウラバンナの音訳で、倒懸苦、つまり逆さ吊りの苦しみを意味します。
盂蘭盆経には、わが子ゆえに餓鬼道に落ちて倒懸の苦しみにあえぐ母を必死に助け出そうとする目連尊者がお釈迦さまの教えに出逢って救われたという因縁が説かれています。
わが国では推古天皇の時(606年)に各寺院で営まれたのが始まりです。お経には現在の父母および過去七世の父母のために毎年7月15日に百味の飲食を供えて百僧に供養せよとありますが、その教えがそれまで民族行事として行われてきた“たままつり”の行事に取り入れられて広く民間に普及していったものと思われます。
真宗では盂蘭盆会のことを歓喜会(かんぎえ)【よろこびの集い】ともいっています。また真宗では、お盆の時期に供物・果物等をお供えすることはいたしますが、他宗派のように特に精霊棚を設けたり、供物や灯籠を流したりはいたしません。
つまり真宗では、一切の仏事は、聞法と報恩の営みと味わうからです。尊いみ教えに出逢うことのできた身の幸せを慶び、ご先祖に感謝のまことを捧げるのが真宗門徒の心得といえるでしょう。
正福寺においては、毎年8月14日にお勤めいたします。
ご希望の方は、一座経(当日のみの物故者の読経)として、当日施主様・物故者法名を個別に読み上げいたします。一座経懇志を上納された方々は、盂蘭盆会法名台帳に記帳し、8月14日~15日の期間に阿弥陀様に奉懸いたします。
文字どおり“ご恩に報いる講(集い)”です。生涯をかけて私たちに生きる拠りどころとしてお念仏を伝えて下さった宗祖親鸞聖人のご苦労とご遺徳を偲び、そのご恩を通じて共々に感謝させていただく、浄土真宗において年間の最も大切な法縁です。
本山本願寺においては「御正忌報恩講」として、毎年1月9日から16日まで勤められますが、正福寺では、毎年11月初旬にお勤めいたします。
正福寺の門信徒外の方であっても、お身内にご不幸があった場合、ご葬儀のご依頼をお受けいたします。
尚、葬儀式については、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の教義・作法に則り執り行います。
但し他寺の檀家・門信徒の方々は、所属寺院のご住職の了解をお願いいたします。
物故者の年回忌法要や月命日のお参りをお受けいたします。
また、法要についてのご相談についてもお受けいたします。ご遠慮なくご連絡下さい。
浄土真宗では、水子法要・供養として特別に法要は行いません。仏教の教えからいえば、お母さんのお腹に受胎した瞬間から、“いのち”の誕生として捉えますから、水子といえども生命の尊厳の観点からいえば、通常の生命の誕生と変わりはありません。この世に誕生してこなかったいのちだけで、当然立派な人間として受け止めるべきでしょう。
世間一般では、水子の供養をしないと私たちに祟りがくる等の迷信を耳にしますが、断じてそのようなことはありません。何か自分に都合が悪いことが起きると、水子に責任転嫁するかのように迷いや不安をあおるような者がいますが大きな間違いです。種々の原因・理由等があるにせよ、尊いいのちが亡くなったのは事実であるわけですから、この現実に目を背くことなく受け止めていくことが大切です。浄土真宗では、亡き人は阿弥陀様の救いによってお浄土に仏としてこの私たちを照らし続けて下さっています。水子を含め、亡き人のためだけに善をふり向ける追善の必要はないというわけです。
つまり、通常先立たれた亡き方々と区別することなく法要を執り行うことは可能であるということです。当寺では、浄土真宗の教義と作法に則り、法名をお付けし通常の年回忌法要等をお勤めいたします。亡き子供さんとのご縁を通して仏事を営むということです。
尚、ご事情により親族、友人、お寺等にもご相談しかねる方もいらっしゃるかも知れません。おひとりで抱え込むことなく、例えば京都・西本願寺に参拝され「一座経」を申し込んでご自身のみで法要を勤められることもできます。