2024.05.08お寺
お寺の個性
コロナ禍が落ち着いて1年が過ぎた。
ゴールデンウィークも終わり、日本中はすっかりコロナ禍前のような人の流れが戻ったかのように見える。
しかし、コロナ禍の3~4年程の間、世の中の価値観や生活スタイルが変わったように感じる。
極力人との接触避ける、マスクに手洗いうがいは必須・・・
良いのか悪いのか何とも言い難いが、コロナ禍の影響が今もなお引きずっている。
特に私が個人的に感じていることなのかもしれないが、人とのコミュニケーションの取り方を忘れてしまったのかと思う程、人と人との関係性が希薄に感じる。
ひと昔前から血縁・地縁・社縁が薄れてきたといわれてきたが、ここ数年で一気に加速した感覚だ。
お寺は人との繋がりで成り立っているといっても過言ではない。
故にコロナ禍中は、どこのお寺も閑散としていた。
阿弥陀さまを中心に仏法を聞かせていいただく葬儀をはじめ法要儀式が簡略化、もしくは取りやめになることも不思議ではなくなった。
そんな状況下の中、お寺もお尻に火が付いたのか様々な工夫を凝らしてお寺に人が集まるように活動を始めた。
先日SNSを何気に見ているとある真宗門徒のお寺に対する思いを綴った投稿を目にした。
お寺のHPを観ているとお葬式・お墓・ヨガ・コーラス・ペット供養しか出てこない。
報恩講も正信偈も南無阿弥陀仏も浄土三部経も法座の案内も出てこない。
ここはお寺なのか、葬儀社なのかと迷うようなHPがかなり多い。
何のためのお寺なのか?
戦略ありきの宗派のトップの人がはびこるのは各寺院・各僧侶・各門徒の自覚の希薄さが原因のひとつかもしれない。
ここで私も申しておきたい。
お寺(住職)自体も
「お寺はお葬式とお墓の管理をするところ」
と思われているのではないか。
その役割だけでは生き残れないという強い危機感が正直ない。
お寺の存続のための戦略が必要だというのは私からすればごもっともな話。
今のご時世、本山・本願寺が800年存続してきたから、これからも続くという根拠は何もない。
だから戦略というか工夫が必要であるわけで・・・。
それがそのままお寺の個性となる。
従来のご門徒のみならず、今まで全く仏教・浄土真宗・親鸞、もっというならば近くにあるお寺(僧侶)にご縁のなかった方から関心を持ってもらい振り向いてもらえるようなお寺でないと。
お寺も世間さまから選ばれ時代であることを忘れてはいけないと本当にそう思う。
お寺の個性を思い存分公開していくことは大いに結構。
書き込みしていくうちに少々熱くなってきたのでこの辺で終わりに。
求められるお寺像を目指して、もうひと頑張りいたします。
南無阿弥陀仏
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