2026.05.05ひとりごと
あなたならどうする?

あなたの家族ならどうする?
近頃の葬儀を見ていると、葬儀社主導の「できるだけ楽に、できるだけ安く、できるだけ早く終えたい」という空気を強く感じる。
参列者は少なく、訃報も限られ、儀式は短く簡素に。
そこには遺族の負担を減らしたいという思いもあるのだろう。
しかし一方で、死という人生最大の出来事までもが手間のかかるもの、費用のかかるもの、面倒なものとして片づけられてはいないでだろうか。
本来、葬儀は亡き人を送るだけの作業ではない。
故人を偲び、悲しみを分かち合い、人と人とのご縁を確かめる場だった。
久しく会わなかった親族が顔を合わせ、知人が手を合わせ、亡き人の人生を語り合う。
その時間の中で、人は自分一人で生きているのではないと知らされてきた。
ところが今、葬儀を縮めることは、そのまま人間関係を縮めることになりつつある。
知らせない、呼ばない、会わない、語らない。
死をきっかけに結び直されるはずの縁まで断ち切ってしまえば、残るのは静けさではなく孤立だ。
便利さと引き換えに、私たちは悲しみを支え合う力を失い始めているのかもしれない。
先日もある知人からの相談で、親族の訃報を知人・身内に知らすことなく葬儀を終えたが、結局後日訃報を知った縁者からブーイングというかクレームというか、どうしたらいい?と
浄土真宗の葬儀は、亡き人をご縁として阿弥陀さまの前に立ち、いのち無常を聞き、生かされている我が身を見つめる聞法の場。
そこには「早く終える」べき用事ではなく、立ち止まり、手を合わせ、人とつながり直す大切な時間がある。
葬儀を軽く見る社会は、やがて命も軽く見始めるかもしれない。「血縁・地縁・社縁」が希薄になった今、私たちに必要なのは、葬儀を小さくする工夫よりも、失われつつあるご縁の重みを見直すべきではないのか。
脈々と受け継がれ、この私に届いたいのちに感謝!
南無阿弥陀仏
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