2020.12.27ブログ
あれから10年
先日讀賣ジャイアンツの吉川大幾選手の現役引退のニュースを耳にした。
吉川選手はPL学園出身で、2010年のドラフトで中日ドラゴンズから2位指名を受けた。
走攻守バランスの取れたオールランドプレイヤーで先輩である立浪選手の後継者として背番号3を引き継ぎ、期待が大きかった。
しかし、結果が伴わず特に打撃が振るわなかった。
結果、2014年戦力外通告を受けるも、その後讀賣ジャイアンツと契約を結んだ。
ジャイアンツでは、レギュラーをとることはできなかったが、守備固めや代走などの出場機会も増え、一定の戦力にもなっていた。
この吉川選手と我が家の長男は同級生。
当時の大阪の高校野球はPL学園・大阪桐蔭を筆頭に履正社・近大付・金光大阪・東海大仰星などが続いているような勢力図。
特にPL学園は吉川選手(中日ドラゴンズ→讀賣ジャイアンツ)と勧野甲輝選手(楽天イーグルス→福岡ソフトバンク)を擁した最強チームで、このPL学園に勝利できないと甲子園の道はないという雰囲気であったことを思い返す。
新チームとなった高校年2生の秋季大阪大会に準々決勝でPL学園と長男のチームである履正社とが激突した。
履正社も山田哲人選手(現東京ヤクルト)や後輩の坂本誠志郎捕手(現阪神タイガース)もチームメイトであったので、ひょっとしたらとの期待もあった。
当日私も舞洲球場に足を運びスタンドで応援。
吉川選手(一塁手)と長男(ランナー)
勧野投手と長男(ランナー)
長男は控え選手で守備固めや代走で試合に出ることが多かったが、この試合は先発フル出場。
先発は勧野投手、吉川選手は一塁手。
接戦の末、履正社は逆転負け。
PL学園は、その後近畿大会も勝ち上がり春のセンバツ大会に出場。
それから夏の選手権の大阪大会、またもや5回戦でPL学園と履正社との対決。
延長戦の末、履正社が辛勝。
その後PL学園の勝利の勢いでそのまま大阪大会優勝で甲子園出場!
本当にライバルとして切磋琢磨した宿敵PL学園。
その主力であった吉川選手の引退に時間の経過と懐かしさで一入である。
厳しいプロ野球の世界で10年間、選手として在籍できたこともあっぱれだ。
高校時代の活躍から想像するに、プロ野球選手として本塁打0であったことが不思議であるとともに本人自身がレベルの高さを思い知らされたに違いない。
何はともあれ、吉川選手お疲れさまでした。
来季からは讀賣ジャイアンツのスコアラーとなるようだ。
また野球界に携われることでこれまでのご恩返しとして益々の活躍を願うばかりだ。
南無阿弥陀仏
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